2009.7.21.
東京一ツ橋の学術総合センターで,会議でした。
岡山県の大学コンソーシアムと表裏一体で,代表校の岡山理大さんの提案されていた「岡山オルガノン」が採択,県内16校が参画しています。
で,一応,説明会に出向きました(一応,大槻は産官学関連,大学連携関連の受け持ちをしておりますので)。
   



で,早めに東京羽田に着きました・・・生憎の小雨模様・・・で,羽田からの地図を見ていると・・・京急で,川崎まですぐ!
で,名前しか知らなかった川崎大師にお参りに行ってみました。

京急の大師線に川崎駅から乗り換えます。
門前市を成しています。
   
『平間寺 (へいけんじ) は神奈川県川崎市にある寺院である。川崎大師 (かわさきだいし) の通称で知られ、真言宗智山派の大本山である。山号は金剛山。院号は金乗院。高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。尊賢(そんけん)を開山、平間兼乗(ひらま かねのり)を開基とする。2008年 (平成20年) 時点の貫首は第45世・中興第2世藤田隆乗(ふじた りゅうじょう)が務める。文化10年(1813年)に徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れた事から厄除け大師として広まる。 毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなる。2006年初詣客は272万人となり、全国3位、神奈川県1位を記録した。当寺への参詣客を輸送する目的で1899年1月21日(初大師の縁日)に開業した大師電気鉄道は、現在の京浜急行電鉄の基となった。』(Wikipedia)

ですって! へぇ〜って感じです。


大きな伽藍です。

境内の様子です。

さて,まずは,拝観!

おごそかな気持ちになります。熱心に念仏をお唱えになってらっしゃる拝観の方もいらっしゃいました。

『大本堂は、当山吉例大開帳奉修の記念すべき昭和39年5月に落慶されました。堂内には御本尊厄除弘法大師を中心に、不動明王・愛染明王などの諸仏が奉安されております。また、古来より勅願寺に列せられた由縁によって大本堂大棟には菊花の紋章が許されております。』とのこと(川崎大師HPより)

さて,後は境内を散策・・・ですが,風鈴市をしていて(あるいはそういう催しが無くってもかも?)屋台がいっぱいでした!

いろんな碑などが,もう一杯です。圧倒されるくらい・・・そして,もうそこここに・・って感じです。

『不動堂は明治23年の創建で、現在の不動堂は、昭和39年4月に建立されたものであります。その御本尊・不動尊像は成田山新勝寺御本尊のご分躰・大聖不動明王を勧請し奉ったものであります。毎月28日がお不動様のご縁日です。「武相不動尊霊場第一番札所」「関東三十六不動霊場第七番札所」』とのことです(同HPより)


そこここをとにかく見ていくしかないって感じです。



『八角五重塔は、昭和59年の当山吉例大開帳ならびに弘法大師1150年御遠忌を記念し落慶されました。当山の五重塔は、境内と諸堂宇との調和を考慮し、さらに真言の様式にかなうよう華麗にして格調ある「八角」としたものであります。八角は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しています。3月21日〜12月20日の第1日曜日と、ご縁日(21日)に公開しています。』(同HPより)です。
境内のどこからでもよく認めることができます。
そして丁度,そうか,ご縁日の日(21日)だったので(だか屋台も多く,拝観の人も多かったのかな?)中も拝見させてもらいました。
 

高浜虚子です・・。

『降魔成道 釈迦如来像 (ごうまじょうどう しゃかにょらいぞう):つるの池にある浮御堂からは、池をはさんで釈迦如来像を遙拝することができ、毎年12月8日には成道会が執り行われます。この池はお釈迦さまが沐浴された尼蓮禅河を表現し、周りの樹木は悟りを開かれたウルビルバーの森を表現しております。そしてお釈迦さまの背景に見える薬師殿の塔屋が、ブダガヤの大塔に準られ、お釈迦さまが成道された情景を想起することができます。』(同HPより)
とのことですね・・。金色です。

 

まぁ,それにしてもいろんな碑や像や・・・所せましって感じですが・・。


『毎年大晦日には除夜法楽が執り行われたのち、午前零時より境内に鐘の音が鳴り響きます。この鐘楼堂は、不動門と共に有縁の地より譲り受けたものであり、当山の戦後の復興を記念する重要な建物であります。』(同HPより)
なるほど・・・です。
 

『 第42世隆超大僧正が昭和23年有縁の地から譲り受け移築建立されました。その山門(現在の不動門)は、昭和52年に現在の大山門が建立されたことに伴い、不動門として移築されました。』(同HP)



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『遍路大師尊像は、昭和48年(1973年)の弘法大師ご誕生1200年記念事業として造顕され、同年5月開眼法要が執行されました。毎年9月20日には遍路大師年祭が執り行われます。当山の遍路大師尊像には健康、健脚を祈念して、献水されるご信徒の姿が多く見られます。また、併せて、尊像を結界する新四国八十八ヶ所霊場も創設され、当山第44世・中興第1世貫首(隆天大和上)が四国霊場巡排の際にいただいてこられたお土砂が埋められ、ここに各霊場の御本尊がお迎えされました。お砂踏み霊場として、全国各地からのご信徒の参拝が、日々つづいています。』(同HPより)
確かに,多くの方が,拝んでいらっしゃいました。

   
祈りと平和の像だそうです。
これはまだ新しいのかな?


さて,風鈴市です。本当に全国各地から・・・・。
   

また,最初の大山門(『大山門は、当山開創850年の記念事業として昭和52年に建立されました。この大山門は、堂塔伽藍をかこう浄域結界の総門であります。四方に京都・東寺の国宝尊像を模刻造立した四天王像が奉安されています。』(同HPより))まで戻ってきました。

この辺りにも御堂が・・。


大山門の様子・・・四天王・・や大きな提灯ですね・・。

さて,まだまだ境内を・・・
  
  
薬師堂もは,ちょっと横ですが・・・。建築デザインも異なっていますが・・・。
『薬師殿は、当山開創880年の記念事業として平成20年(2008)11月1日に開設。堂内には薬師瑠璃光如来尊像、薬師瑠璃光如来を信仰する人々を守る武神である十二神将が奉安されています。また、御本尊薬師瑠璃光如来のご分身・なで薬師が奉祀され、撫でることにより身体健全、病気平癒が祈念できます。堂内では参拝された折に、写経や彩色仏画(仏さまのぬりえ)に参加できます。』(同HP
新しいのですね・・。





さて,少し南には大師公園・・・広い芝生,テニスコート,プール,野球場などがありました。


京急の大師駅の西には若宮八幡宮

   

こじんまりと・・・っていうか,でも,川崎市ってもう工場地帯って感じですが,実はその昔は果樹王国だったのですね。
長十郎梨の帰還! ってなんか,ちょっといいですね。


川崎市役所の近くには,稲毛神社!
『当神社のご創建の年代は詳らかではありませんが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と推定されるところから、当地の古社であることがわかります。社伝によれば、当神社は東国に争乱の絶えなかった頃武神・武甕槌神をまつり、天皇軍の先勝を祈る社として建てられたと伝えられています。第十二代景行天皇が東国御巡遊のおり当神社に賊難を避けられたといい、第二十九代欽明天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかったため、天皇は当神社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈られ、以後長く勅願所であったと伝えられます。』(同神社HPより)

とのことです。


この狛犬はすごいっす! 武士って感じです。
 
  

WIKIPEDIAによりますと・・・。
『創建の年代は不詳であるが、社伝によれば、武甕槌神を祀って天皇の軍の戦勝を祈ったのに始まると伝えられる。景行天皇が東国巡行の際に、当社で賊難を避けたという。欽明天皇が東征のとき、新たに配祀神四神を祀り、以降長らく勅願所とされたと伝えられる。当初は祭神の名前から「武甕槌宮」と称していた。平安時代末期、この地を領有した河崎基家が山王権現を勧請して以降、「河崎山王社」「堀之内山王権現」などと呼ばれるようになった。明治元年、関東へ下降する有栖川宮熾仁親王が当社で休憩し、その際、「神仏習合に基づいた「山王」の社名は新政府の神仏分離の方針にふさわしくない」と言ったことから、社名を旧地名の武蔵国稲毛庄にちなんで「川崎大神稲毛神社」とし、明治中頃に「稲毛神社」の名が定着した。明治6年、郷社に列格した。昭和41年(1966年)、神社本庁の別表神社に加列された。』だそうですよ!!

正岡子規です・・・。

境内社も沢山ありました・・。

その横は,広場が設えてあります。

説明板もなかったですが,昔の多摩川にかかっていた橋桁っていうか・・・の展示???
    
  

そして,さすが(っていうのも変ですが)川崎市・・・大気汚染っていうか,汚染物質の濃度の掲示があります。


ここは,東海道五十三次,川崎宿なのですね!



東海道線で東京へ!
そして皇居のお堀沿いに一ツ橋へ・・・

で,前にも感動しましたが,和気清麻呂像があります。
あるHPでも書いてありましたが,東京ってやはり新しい町で,江戸時代以降ですよね!
その前は鎌倉だし・・・。
で,その東京の銅像とかは,明治維新とかそういうのが多い中で,吉備の国・備前の出身,奈良時代の和気清麻呂像が,この皇居のすぐそばに! っていうのは,なんかすごいって思います。
  

皇居とお濠を眺めやって・・一ツ橋へ